∈心のナイフ∋
はしゃぎたいのにはしゃげない気持ち

 
子供の頃、はしゃぎ方なんて教わらなかった。
 
周りの子供がしているみたいに水遊びなんかしなかったし昆虫採集なんてまるでしなかった。やってきたのは、周りの期待に添うように従順に生きることと、詰まらない大人の話に愛想笑いすること、それから父親を立てることだった。
これは子供ながらルールで、絶対に外れてはいけないレールでもあったんだ。
 
「素晴らしいご子息ですこと」
 
有難うございます。
 
「お父上は素晴しい方だ」
 
僕も尊敬しています。
 
「将来は立派な社長になられることだろう」
 
期待に添えるよう尽力して参ります。
 
私がそんなふうにどこの誰とも知らない奴らにおべっかを使っている頃、窓の外では同い年くらいの少年達が虫籠を持って楽しそうに走っていた。羨ましかった。一度でいいからあんなふうにはしゃいでみたかった。
一度で良いから。
 
子供たち。
 
私にとってはネックの、キーワード。
 
 
 
 
「社長。子供たちからの花束贈呈がございます」
 
「そうか」
 
その日、私は神羅の社長になった。
 
社長就任パレードは豪勢に誂え、なるべく厳かになるよう軍服を刷新する。権力はこのように足並みをそろえてこそ効果を発揮するものだ。頭一つ分はみ出ているのならそれをもぎ取れば良い。
私はそのパレードのために同じ背丈同じ体格の人員を揃えた、そして彼らをパレードで行進させた。
しかし。
 
「子供か…」
 
私の美学はそこにきて崩れ去ったらしい。何せ権力に参加するどころか政治参加の権利すら持たぬ子供が私のパレードに参加するというのだ。
よりにもよって子供!
 
「背丈が足りない」
 
軍人のように足並みを揃えることも出来ないというのに、これでは列を乱してしまう。芳しくない。
しかしそうは思っても時はやってくる。観衆の喝采の中厳かに進みゆく私の前にやがて彼らはやってくるのだ。私の苛立ちを連れて。
  

  

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